企業情報沿革
1922年(大正11年)
斎藤岩次郎が北隆館社内に折込広告部を開設し創業する。
1923年(大正12年)
関東大震災、北隆館焼失。
1928年(昭和3年)
国鉄(現:JR)の有料広告第一号を扱い、交通広告を事業化する。
1931年(昭和6年)
明治節(現・文化の日)祝賀花電車を製作。

1936年(昭和11年)
地下鉄沿線百貨店のサービス誌「メトロ時代」を創刊する。

1943年(昭和18年)
≪宣伝科学研究所(宣研)≫を設立する。
1945年(昭和20年)
5月:戦火により社屋焼失。京橋区木挽町(現、中央区銀座)で営業再開。
10月:戦後第1回宝くじ売出しの広告宣伝を扱う。

1946年(昭和21年)
リーダーズ・ダイジェスト社の依頼で、車内ポスターの広告効果を測定する。
1952年(昭和27年)
広告業界の季刊専門誌「広告美術」を創刊する。

1956年(昭和31年)
第1回「秀作車内ポスター展」を主催。1986年まで継続開催し、
現在は「交通広告グランプリ(JR東日本企画)」へと引継がれている。
1957年(昭和32年)
ラジオ番組「赤胴鈴之助」を企画制作する。
1959年(昭和34年)
テレビ番組「まぼろし探偵」を企画制作する。
1960年(昭和35年)
「交通・屋外広告サーキュレーション資料」を創刊する。
1963年(昭和38年)
社名を≪オリコミ≫に改称する。
1973年(昭和48年)
≪オリコミサービス≫および≪オリコミ開発≫を設立する。
東京本社、大阪、名古屋、福岡、札幌の4支社体制を確立する。
1978年(昭和53年)
国鉄(現:JR)とステッカー広告を協同開発する。
米国テッドベイツ社と業務提携を行う(1996年まで)。
1980年(昭和55年)
≪アドメール≫および≪サンライト≫を設立する。
1981年(昭和56年)
分散した本社機能を統合し、本社を銀座から日本橋に移転する。≪アドール≫を設立する。
1989年(平成元年)
国立競技場で開催された「ワールドカップマスターズサッカー」を企画運営する。

1990年(平成2年)
クリエイティブ局の一部を分離独立させ、さらに≪アドール≫を吸収合併して≪オリコミクリエイティブ(後のクリエイティブオリコム)≫を設立する。
1993年(平成5年)
創業70周年を契機に新たにCIを設定し、社名を≪オリコム≫に改称。
1995年(平成7年)
本社を港区六本木に移転し、全社営業力の強化、企画開発機能の充実を図る。
2002年(平成14年)
米国ザ・リチャーズ・グループ(ダラス)と提携し、アカウントプランニング手法を導入する。
2003年(平成15年)
本社を汐留シティセンターに移転し、新たなビジネスモデルの構築による経営革新を目指す。
2005年(平成17年)
本社及び支社においてISMS(情報セキュリティマネジメントシステム)認証を取得する。
北京駐在事務所を設立する。
2006年(平成18年)
統合型マーケティング・コミュニケーション(IMC)をベースとしたアカウントプランニング(AP)手法の確立を目指す。
社員の行動指針「オリコムウェイ」を制定する。
デジタル領域の売上高が10憶円を超える。
2007年(平成19年)
2月:グループ会社の≪宣研≫および≪オリコミ開発≫を合併。グループ会社の≪オリコミサービス≫が≪アドメール≫および≪サンライト≫を合併。
7月:≪北京奥瑞可恩広告有限公司(後の奥端可恩(北京)広告有限公司)≫を設立する。
8月:本社を新橋センタープレイスに移転し、オリコムグループの経営合理化を促進し、機能の結集を進める。
9月:デジタルマーケティングの国際カンファレンス「ad:tech Tokyo」を開催。
2016年(平成28年)
2月:企画部門の連携を促進し、クリエイティブ機能の向上を図るためにグループ会社≪クリエイティブオリコム≫を合併する。
10月:異業種連携で人と街をワンストップにつなぐ複合ICTプラットフォーム構築を推進する「株式会社スマートコムラボラトリーズ」を設立
2017年(平成29年)
オリコミ銀座ビルの跡地に、オリコムグループが地権者として共有床を保有する銀座地区最大のビル「GINZA SIX」がオープンする。
2019年(令和元年)
3月:広告会社向けアドベリフィケーション対策ツール 「HYTRA DASHBOARD」を実装、「ACP」のパートナーとして認定
2020年(令和2年)
5月:「組織目的」を策定。
10月:ニューノーマルにおける「新しい働き方」を実施。
2021年(令和3年)
メディア統合配信と効果検証/アトリビューション分析を実現
【Oricom Programmatic Distribution】をリリース
2022年(令和4年)
創業100周年を迎える
